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上野正子さん(元ハンセン病患者)の講演を聞きに行きました

当催事の関係者から誘われて、映画「あん」のモデルになった元ハンセン病患者、上野正子さんの講演を聴きに行った。会場は山谷にほど近い介護施設の集会場。100人ほどの参加者が雨の中、上野さんの話を聞きに来ていた。

上野さんは現在91才。今も鹿児島県の星塚敬愛園に暮らしながら、ハンセン病患者隔離政策によって引き起こされた様々な悲劇の生き証人として、主に九州地方を飛び回り、語り部としての活動を続けている。1998年には、熊本地裁で起こされた、らい予防法違憲国家賠償訴訟に原告の一人として加わり、勝訴を勝ち取った。
見た目はどこにでもいる、と言っては失礼だが、小柄だが、年齢の割には元気な普通のおばあさんという感じである。でも一度喋り始めると声も大きく滑舌もよく、ユーモアもあり、そこには、特別な人間が持つオーラのような迫力が感じられた。
ハンセン病は「らい菌」によって惹き起こされる慢性の感染症で、一番多い症状は末梢神経障害だ、などということは、皆さん、すでにご存じのことと思うので、説明は省く。
さらに上野正子さんのお話も、あらすじを僕が書いても実際に自分の耳で聞かなければ、その人生の辛さや悲しみといったものも伝わらないだろうと思う。だからそれも省きたい。
ただ僕が上野さんのお話から感じた心証と、ストーリーの大事な部分のみ記しておこうと思う。
13才で軽度のハンセン病を発症した上野さんが、沖縄本島の中等教育学校の寮から、父親に連れられ、鹿児島の星塚敬愛園に一人で入所するまでの下りは、悪い夢の話を聞いているようだった。ただ夢なら醒めるが、上野さんの話は現実であり上野さんの記憶に刻まれた事実なので醒めることがない。ところどころユーモアを交えて話してはいたが、僕は呆然としてしまい、笑うことができなかった。13才の少女にはあまりにも辛い現実のように感じられたからである。
上野さんは、自分はハンセン病になって、当時、特効薬と言われたプロミン(体内で代謝されジアミノジフェニルスルホンとなる)の第一号患者となり、薬が効いて、何とか今も生きている(現在ハンセン病の治療は、結核菌と同じようにRFPなどの抗菌剤の三種投与が基本となっている)。そして、沖縄出身の上野さんは「学校の友だちたちは皆、ひめゆり学徒隊として出陣し、今ではひめゆり資料館の中で写真になってしまっている」と語った。だから自分はハンセン病になったことで、戦争にも行かなくてよくて、ある意味、感謝もしていると言った。恐らく神様が(上野さんはクリスチャンである)自分をハンセン病患者として生かしたことには、何か使命をあったのだだと思っている、と話した。
ただ13才で家族と引き離さされ、教師になる夢も叶わず、園で知り合い結婚した夫には強制的に断種手術が行われたため、子供を持って幸せな家庭を築くという夢も諦めなければならなかった。もしそれが神様の与えた試練だとしたら、それはあまりにも過酷とは言えないか。
差別と偏見、そして中傷の人生を耐えて生きてきたのである。
会場には「あん」の原作者であるドリアン助川氏も来ていて、執筆はしたものの、なかなか出版を引き受けてくれるところがなくて困ったという当時の事情なども披露していた。
上野さんのところには、突然、樹木希林が訪ねて来たことがあり、樹木希林を知らない上野さんは、最初「なんか汚いおばあさんが訪ねて来たなぁ、いやだなぁ」と思ったそうである。「実は私は女優をしていまして」と樹木希林が素性を明かしたときには、驚いたというエピソードはおかしかった。
上野さんは現在、熊本地裁で係争中のハンセン病家族訴訟の支援を続けている。
「いつでも遊びに来て下さい」と上野さんは繰り返し、会場の参加者に呼びかけていた。

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